存在の耐えられない軽さ

本読んで考えたり、考えてること、勉強してることに関する日記

TOEFLのトピックの例を挙げる(アートのお話)

Applied artとFine artの違いについての文章

今、人工的に作ったものっていうのは、材料で区分することが一般的だと思う。

お皿とかそうだけど、基にする材料が、泥、ガラス、木材、繊維とか金属とか多種多様。

 

でもかつてはそうやって材料で分類するのではなく、機能で分類して物を見るのが一般的な時があった。

なんでかっていうと、機能的でないもの、いわゆる芸術っていうのを人間の想像力のとおりに表現するのに適した材料が昔はなかったからなんだ(これは推測だけど、この話は最後にまた出てくる)。

昔は芸術っていうのはどこに表現されたかっていうと、大体機能のあるものに表現されるのが多かった。要は取っ手が2つ付いてるコップとか、縄文土器とかデザイン性のある小物、そんなやつをApplied artと呼びます。つまり何らかの目的のために機能する物、こういうのがあったら便利だなっていう人間の欲望を解決する為に生まれた物に芸術(art)が適用(apply)されたから、それをApplied artと呼んでいる。

 

大まかには3つのカテゴリに分かれる

コンテナ(箱)

シェルター(保護容器)

サポート(支持物)

 

こいつらって形がほとんど決まってるんだよね。

なんでかって言うともう機能が形を決めてしまっているから。

だから箱なんていうのはどんな箱でも土台があってその上に穴が空いてる。んでその周りを囲いがあって一定の位置に固定する。これはどんな箱でも変わらない。

 

けれども別に機能とか関係なくて、ただただ人間の芸術の体現のために存在してるやつってあるじゃない。よくわかんない変なオブジェとか、銅像とか、機能ではなく芸術的価値が中心する作品とかそういうものをFine artと呼ぶ。

昔って結構技術がまだ低くて、例えば、ナポレオンが白馬に跨ってる像とかあるじゃない。後ろ足だけで立って前足をズォォッと上にあげて嘶いている白馬の姿よ。あれはどう見ても力学的に結構不安定な状態じゃない。そのままにしてると倒れちゃう。だからある程度の技術がないとあれは作れないの。だから昔はその馬の前足をボールみたいなやつの上に置いて安定を獲得してたんだよね。でもさ、絶対に製作者はそのボールが芸術に必須!って思ってなかった理由として、技術が進歩して丈夫な素材が加工できるようになってからその作品が作り直されると、そのボールは置いてなかったんだよ。いらなくなったんだ。だから昔は芸術性の表現っていうのは材料によって制限されていたんだ。自分が想像した通りのものはなかなか生み出せなかった。そのことを示すいい例。でも科学技術が発展するにつれて、軽くて丈夫な材料を加工できたり、金属でも自由自在な形に変形できるようになると、芸術の表現における材料による制限が少なくなってきているんだ。だから今では人間の頭の中にあったものがソックリそのまま現実世界に生み出されるようになりつつある・・・

・・・・・・・・・・っていう話とかがTOEFLに出てた

個人的にはアートはoppositeな興味対象だが、こういう話は面白くて良いね。

自分だと絶対にgoogle検索しないから、TOEFLが僕の凝り固まった頭を柔軟にしてくれてる気がするよ。