存在の耐えられない軽さ

本読んで考えたり、考えてること、勉強してることに関する日記

盆栽が嫌い

ずっと前から思っていたんだけど、僕は盆栽だけはやらないぞという強固な意思があります。そもそも盆栽という趣味がいかに気味悪く吐き気を催すものであることよりも、まず僕はその名前に拒否感を覚えずにはいられない。ぼんさい、これは凡才という言葉を連想させるのでとても不愉快である。僕が凡才を忌み嫌っているのはすでにご承知の通り、凡才の存在を目の前で実感させられることが一番嫌いで、その次に嫌いなのが凡才について考えることなのです。頭の中に常に「ぼんさいが」とか「ぼんさいをもうひとつ」なんてフレーズが出てきた日にはこの世の終わりを覚悟しなければならなくて、盆栽それ自体の犯した罪ではないにせよ、凡才という言葉を連想させる名前が気にくわない。いわば盆栽にとってそれは原罪のようなもので、どうする事もできないのだが、少なくとも盆栽を扱う人々は僕に盆栽をすすめることだけはどうかやめていただきたい。

盆栽を趣味にしている人の前ではとても口にできないのだが、僕は盆栽が極めて悪趣味なものに感じてならない。定年後手持ち無沙汰なじじいが人生のすり減らしの為に特にこれといった情熱もなく急に手を出すものというイメージが強いので、若くて好青年な僕が忌避するというのはやや自己中心的なきらいがするのでこれはおいて、少なくとも、植物の瑞々しさ、エネルギッシュさ、成長の兆しといったものをあの薄汚れた小さな土がめに閉じ込めているのを見ると、僕は何か極めて生命に対する侮辱を感じるのです。