存在の耐えられない軽さ

本読んで考えたり、考えてること、勉強してることに関する日記

思考停止の恐ろしさ

長らく学校の勉強に煩わされていると、思考停止に陥ってしまう。いや、まるっきり停止しているわけではないのだ。少なくとも、テスト勉強をしたり、今日の献立を考えている時、頭を働かせている。

しかし、僕がつくづく思うのは、学校に長らく慣れてしまうと、次第にもっと大事な対象に頭を働かせるのをやめてしまうのだ。つまり、自分の人生とか、愛とか、自分の気持ちであるとか。テスト勉強なんかに頭を占められているせいで、生きていくうえでより大事な事物に割く頭が、その時間が、確実に薄まっていくのだ。これが僕の言う思考停止であり、この時僕たちは自分の人生を生きていないのだ。だって、そうだろう。自分のやりたいこともやらず、ただ義務に従うだけの人生など、なんの意味があろうか?それで果たして生きていると言えるのか?僕からすれば、自らの気持ちに蓋をして保身の為に周りに合わせるのはゾンビも良いとこだよ。そんな、生きてるか死んでるかもよくわからんフワフワした状態で、細胞が活動限界を迎えるまで時間を浪費するなんて、想像しただけで自分が嫌になる。

そして、大抵の人は「目覚めていない」のだが、中には覚醒している人もいる。つまり日常生活なんて虚構に過ぎず、半ば達観している人々だ。彼らに言いたい。(最もこれは僕に言い聞かせる意味が半分ある)能動的に行動せよ、と。結局、今僕が唱えているようなことは、まともに生きている人間ならば一度や二度頭に浮かんだことがある程度のものだ。しかし、99%の人間はそれで終わりだ。次の瞬間は別のことに気を取られ忘れてしまうのだ。それではいけないのだ。こうした気持ちが何度も何度も浮かんでくるようならば、それは心が本当に欲している証拠だ。それを無視するのは自分を冒涜するに等しい。

やるんだ。とにかく、やってみるんだ。でなきゃ、何も変わらない