英語を勉強すると逆に日本語がうまくなるんじゃないか
逆説的だが英語の勉強が日本語を向上させていると感じる。
というよりなんだろ、全くの感想だけど、英語のほうが書く言語として能力が高い気がする。ほら、日本語は漢字、カタカナ、ひらがなの3つの区分があってさ、視認性が高いじゃないか。だから、ある程度遠目から見てもなんとなく意味がわかっちゃう。漢字だけ拾い読みしても何となく分かるんだ。知らない熟語があっても勘で意味が推測できたりする。それはそれで大変便利で、読むぶんには問題が少ないのかもしれないが、問題としてまず挙げられるのが、飛ばし読みするから、書くときに困るという点だ。
飛ばし読みには2パターンあって
1つ目が構文の無視
2つ目が語彙の無視だ。
1つ目の構文能力の欠如がかなり致命的で、構文という型いわゆる表現パターンは数が限られているから、習熟しているものが多いか少ないかで表現力にもろに差が出る。だから無意識に使える構文が多ければ多いほど良いんだ。
その会得の仕方は2つある。
1つ目は圧倒的な慣れ。思うにこれが才能というやつにつながるんだろうが、幼少期から丁寧に一文一文追うものと飛ばし読みをするものとでは構文への接触回数が天と地の差に登ると思われる。熟読玩味している人のほうが結果として血肉となっている構文が多いため、それらを適切に引き出すことができ、いわゆる文章が上手い人として評価されてるんじゃないかな。僕なんか下手な人の代表例で、この数年間引き出せる構文(表現のパターン)限られていると思うことがしばしばだ。
もどかしい気持ちを抱える僕のような大きい子供は次の方法を通じて意図的に鍛錬するしかないだろう。それは、そう、英語学習でやるように構文ごとに覚えて作文しマスターしていくものだ。人工栽培とか、ウェイトトレーニング言っても良いかも。文脈を無視して構文だけを引っ張り出し、強化しようという算法だ。
問題点は明らかに不自然だろうということだ。そらそうだ、文脈がないのだから、完全に血肉になっているとは言い難い。ところどころでボコボコの穴が空いている。筋肉で言うと密度が低い筋肉のようで、見た目には良いが強さがないと言えばよいだろうか。筋肉でも言語でもその問題点の解決は兎に角ひたすらに文章を熟読玩味するということだ。最初から熟読玩味するのは、身についていない構文を身についていないと意識できない大人にはちと厳しいと思う。だから無理やりそれを可視化して鍛え上げてから文章を読むとあら不思議、自然と不自然な穴も効率よく埋まっていくんではなかろうか。
日本語の構文ってなんだよ・・・と思うが、構文の前にまず文法だなと思う。そして、日本語の文法が網羅的にまとめられているものとなれば・・・そう、語学書だろう。それも解説付きがあれば最適だ。オススメはアメリカで圧倒的No.1の
Tae kimの書いたA guide to Japanese Grammar
A Guide to Japanese Grammar: A Japanese Approach to Learning Japanese Grammar
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同様に、日本語の文法の特徴なんかを押さえていくのも楽しい(必須ではない)
単語のときも全く一緒で、よく単語は多読で自然と覚えるのが良いという。それは賛成だ。大賛成。僕が小学生ならぜひそうしたい。だが人間は死ぬのだ。人生には時間制限がある。理想論ばかり追いかけるのではなく、理想論と現実論の両方のいいところを取り入れる。けだし、単語も、辞書という史上最強のツールがあるんだから、それを読んでこれから遭遇するであろう単語の意味を知っておく、というのが一番効率がいいと思われる。そうしてあらかじめボヤッとしたイメージを持っておき、再び文章でそんな単語出くわしたらどうだろうか?思うに一度出会っただけで使えるようになる単語よりも、二度出会って使えるようになる単語のほうが多いと思う。一度目は会得の前に推測というプロセスが組み込まれている。プロセスが複雑なものほど会得するのは難しい。もちろん、そんな複雑なプロセスの単語でもその都度乗り越えればいいじゃないかという意見もわかるのだが、それができたら今頃苦労してないだろう(それをやってこなかった結果アクティブボキャブラリーが少ないんだ)
選定する単語帳(辞書)は目的によって各人で異なるが、専門用語は含まなくていいだろう。イエローストーン国立公園とか、アスピリンとかいう言葉は日本語の単語には含めない。それは専門用語で各自、知りたいときに調べるだろう。僕の言う日本語の単語は相応ずる、深淵を臨むなんていう表現だ。英語でlook upとかset offは調べるのに日本語となると急に調べなくなるから困ったものだと思う。
さて、そういった意味では井上ひさしも愛読していた大野晋の辞書
大野先生の説明はとてもわかり易い。